福島市の中心部にある信夫山の情報サイト

信夫山おもしろ話

ホーム > 信夫山おもしろ話 > その19 名関脇「信夫山」の話

その19 名関脇「信夫山」の話

お正月にふさわしい、おめでたい? 話をしましょう。大相撲のファンの方はたくさんいらっしゃると思いますが、実は福島に双差し名人の「信夫山」というすごい力士がいたのです。
今は大横綱は「白鳳」ですが、昔は69連勝の大横綱「双葉山」がいて、いまだにその記録は破られていません。その時代(昭和15年)に旧伊達郡保原町から大相撲に入門したのが信夫山治貞でした。

実家は本間家といい、保原では名の知れた繭(まゆ)の仲買業者でした。入門後は、途中戦争に駆り出されたりと不運が続きましたが、なんとか相撲界に復帰し、猛稽古からどんどんと出世。昔の栃錦・若の花が活躍した栃若時代に、なんと新横綱「若の花」を初日に破ったことのある名力士だったのです。
見事、関脇まで上り詰めたその双差しの技は、玄人泣かせといわれるほどで、「りゃんこの信夫山」として、いまだに語り継がれています。
面白いのは、初めの四股名はあの「吾妻山」でした。一時期、本名の本間を名乗った時代もあったようですが、昭和24年に信夫山に改めてからは快進撃が続き、176㌢82㌔という小兵力士ながら、殊勲賞・敢闘賞・技能賞を8回も受賞。横綱を破った金星7個獲得という正に記録より記憶に残る名力士でした。今は、東京江戸川区にある泉福寺に眠っています。