羽黒神社の旧参道「御神坂(おみさか)」の中腹に
「古民家西坂家」とその敷地内西側に「ねこ稲荷」があります。
施設名 | 古民家西坂家 |
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所在地 | 〒960-8252 福島県福島市御山字岩坂12 |
開館時間 | 10:00~16:00 (冬季 1月・2月 10:00~14:00) |
休館日 | 木曜日 (冬季 1月・2月 水曜日・木曜日) ※天候などにより臨時休館となる場合があります。 |
信夫山墓地を登っていくと、三方の分かれ道があり、真ん中の道が羽黒神社の旧参道で御神坂(おみさか)といいます。昔、村々の大わらじ奉納は、この急坂を担ぎ上げていました。
急勾配を登りつめると平坦地(おみさか花広場)が広がり、その先にある羽黒神社の大鳥居が、来訪者を出迎えてくれます。
この大鳥居をくぐると急峻な約250メートルの参道の両側に形成された雛壇式の集落が続きます。これが六供(ろっく)集落です。
六供集落の起源は6世紀ごろにさかのぼります。
仏教伝来で名高い第29代欽明(きんめい)天皇の時代、30代の敏達(びたつ)天皇の地位を巡り兄弟の皇子が争い、敗れた兄の淳中太尊(ヌナカフトノミコト)は、都を追われて6人の家臣を連れ奥州に逃れ、ここ信夫山に移り住みました。
そして兄を応援していた母の石姫(イシヒメ)皇后も7人の家臣を連れて信夫山に追われてきました。
その後、淳中太尊が亡くなると、信夫山の山頂に羽黒大権現として祀られ、次いで皇后が亡くなると、黒沼神社に大明神として祀られました。
皇太子についてきた6人の家臣と皇后についてきた7人の家臣は、六供七宮人(ろっくしちぐうじん)と呼ばれ、信夫山に御山村をつくり、羽黒神社と黒沼神社の祭事をしてきたと伝えられています。
古民家西坂家は六供七宮人の家系とされる宮人峰雲院西坂家の母屋です。
福島市教育委員会の依頼で、福島県建築士会福島支部が平成28・29年度に行った「信夫山六供集落調査」により、江戸時代幕末頃の建築物であるとされました。
NPO法人ストリートふくしまが所有者の許可を得て、信夫山の活性化のため令和3年度にリノベーション工事を行い、信夫山来訪者の休憩所・コミュニケーションの場として整備したものです。
古民家西坂家の敷地内に「信夫山ねこ稲荷(西坂稲荷)」があります。
昔々、信夫山の三狐といわれた「信夫山のご坊狐」「一盃森の長次郎」「石が森の鴨左衛門」。3匹は信夫山の狐塚(現在の福島税務署辺り)に集まり、いろいろと悪巧みをしていました。中でも、ご坊狐は人を化かすのが上手で、御山の和尚さんに化けては町の魚屋に現れ、木の葉の小判で魚を買って持ち帰ってしまうなど、悪さをしていました。
ところがある日、鴨佐衛門に「自慢の尻尾で釣りをすれば、魚などいくらでも釣れる」とだまされ、黒沼(現在のハローワーク福島前辺り)に尻尾を垂らして魚を待っていると、真冬の寒い夜だったので、たちまち尻尾は凍りつき抜けなくなってしまったのです。力任せに引っ張ると、なんと尻尾は根元から切れてしまいました。
自慢の尻尾を失ったご坊狐は、神通力が無くなり化けることができず・・・・。
落胆しているご坊狐を諭したのは、多くの迷惑をかけられた和尚さん。
そこで、ご坊狐は改心して、御山の人たちに恩返しをするため、蚕を守る神になりました。当時、養蚕が盛んだった信夫山では蚕を食い荒らすネズミが大敵。見事にネズミを退治したご坊狐は「ねこ稲荷」として信仰を集め、いつからか「猫を幸せにする稲荷」として愛されるようになったのでした。
愛猫の写真を備え付けのボードに掲示することができます。
ご希望の方は愛猫の写真(Lサイズ)をご持参し、古民家で100円をお支払いください。写真を入れるケースと掲示用のクリップをお渡しいたします。
写真に備え付けのサインペンで「日付」と「コメント」を記入し、ケースに入れてクリップでボードのバーに取り付けてください。
写真の掲示期間は原則1年ですが、ボードが写真で埋まり新たな写真を掲示するスペースが無くなった場合は、1年を待たずに写真の日付の古い順に取り外し、古民家に備え付けのホルダーにファイリングさせていただきます(ファイリングに期限はありません)。
信夫山ねこ稲荷参拝の記念として、書置き御朱印を準備しています。