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信夫山とは

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信夫山の概要

信夫山は、全国でも珍しい盆地の中央にぽつんと残された里山で、太古の昔からふるさとの象徴として人々に愛されてきました。

東西2.7km、周囲約7kmの自然豊かな美しい小山で、大きさは皇居とほぼ同じです。中央に羽黒山(標高260m)、西に羽山(標高275m)、東に熊野山(標高268m)、さらにその北に立石山(標高220m)、といくつもの峰から成り立っていて、昔から山岳信仰の山として知られ、それぞれの山頂には信仰の対象である神仏が祀られています。

信夫山は、平安の昔からみちのくの憧れの山として、多くの歌枕に詠まれ、江戸・明治時代には文芸の山としても有名でした。

多くの歴史と伝説に彩られた信夫山は、街の中の森林空間として、動植物の宝庫としても貴重な存在であり、まさに市民の宝の山となっています。

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信夫山MAP

360度の展望が自慢です

孤立丘なので、周囲すべてを見渡せるのが信夫山の自慢。雄大な吾妻連峰と、福島市の大西部を一望する絶景の烏が崎を筆頭に、旧市内を眺める第1展望台、福島東部と競馬場を眼下に見下ろす第2展望台、そして福島市北部を眺望する第3展望デッキなど、展望ポイントはなんと7か所もあるのです。

  • 北第3展望デッキから北部の眺望を見る
  • 東第2展望台から競馬場と東部を見る
  • 西烏ヶ崎から西部の大展望を見る西
  • 南烏ヶ崎から市街中心部を見る

謎めいた信夫山の生い立ち

信夫山はではない!?

実は、信夫山は福島盆地が陥没したときに、盆地の真ん中に取り残された「残丘」または孤立丘とよばれる地形なのです。
山頂には貝や魚の化石があり、優秀な金山でもありました。豊かな自然環境があり、信仰や伝説にも溢れた、街の真ん中にある里山、信夫山は全国でもまれな存在なのです。


海底だった福島盆地

1000万年前ごろ、福島一帯は海底の時代でした。やがて奥羽山脈が隆起を始め、500万年前ごろに福島は陸化しました。あちこちで火山活動がさかんになり、信夫山の地下にもマグマが貫入しました。50万年前ごろ、福島盆地は逆に陥没し始めましたが、マグマの影響で固くなっていた信夫山は、そのまま取り残されて残丘となったのです。山頂にある化石は、海底時代の名残です。


優秀な金鉱だった信夫山

マグマが貫入した信夫山には、熱水鉱床が残されました。その成分はなんと金だったのです。信夫山の金鉱は優秀で通常1tあたり7gの金が含まれていれば採算が取れるといわれましたが、信夫山は平均14gもありました。鎌倉時代の後期あたりから発掘がはじまり、信夫山には沢山のたぬき掘りの跡がのこっています。

本格的に採掘したのは大日鉱山ですが、信夫山は小さな山なので掘り尽くされてしまいました。有名な金龍坑は、昔子どもが二人も落ちて亡くなり、取材カメラマンも落ちて亡くなりました。
現在は塞がれていますが、北口はいまも開いています。また、信夫山西端の山根坑は、終戦間際、軍の秘密地下工場にもなりました。