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その10 古関裕而と信夫山

福島市の誇る作曲家、古関裕而のことはみんなが知っていますね。福島駅を降りると、駅前広場でまず目に止まるのがピアノに向った古関裕而のブロンズ像です。
その古関裕而が、信夫山に眠っています。護国神社から信夫山墓地を登っていくと、初めの小路があります。そこを右に入った、大きなサルスベリの木のところに、古関家の墓所があります。古関裕而のご先祖様、古関三郎冶は、信夫山に大きく貢献してきました。

ほら、ハローワーク向かいの噴水公園に祓川橋という石橋が保存されていますね。それは享和3年(1803年)に古関三郎冶が寄進したものです。
もとは県庁通りから信夫山に突き当たった、祓川にかかっていました。橋脚が半円形で、祓川に美しく映り「御山のめがね橋」といわれ人々に愛された橋です。また、峯の薬師堂の裏に大日如来像がありますが、これも三郎冶の寄進です。当時の文化人だったのですね。
古関家は昔「きたさん」という屋号の呉服問屋さんで、駅前レンガ通り沿い「チェンバおおまち」手前に記念碑が建っています。当時の商家は地域に貢献をするのは当たり前、という心意気があったのです。
古関家は代々三郎冶を名乗り、橋を寄進したのは五代目三郎冶、そして古関裕而は、七代目に当たるそうです。