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謎めいた信夫山の生い立ち

信夫山はではない!?

実は、信夫山は福島盆地が陥没したときに、盆地の真ん中に取り残された「残丘」または孤立丘とよばれる地形なのです。
山頂には貝や魚の化石があり、優秀な金山でもありました。豊かな自然環境があり、信仰や伝説にも溢れた、街の真ん中にある里山、信夫山は全国でもまれな存在なのです。


海底だった福島盆地

1000万年前ごろ、福島一帯は海底の時代でした。やがて奥羽山脈が隆起を始め、500万年前ごろに福島は陸化しました。あちこちで火山活動がさかんになり、信夫山の地下にもマグマが貫入しました。50万年前ごろ、福島盆地は逆に陥没し始めましたが、マグマの影響で固くなっていた信夫山は、そのまま取り残されて残丘となったのです。山頂にある化石は、海底時代の名残です。


優秀な金鉱だった信夫山

マグマが貫入した信夫山には、熱水鉱床が残されました。その成分はなんと金だったのです。信夫山の金鉱は優秀で通常1tあたり7gの金が含まれていれば採算が取れるといわれましたが、信夫山は平均14gもありました。鎌倉時代の後期あたりから発掘がはじまり、信夫山には沢山のたぬき掘りの跡がのこっています。

本格的に採掘したのは大日鉱山ですが、信夫山は小さな山なので掘り尽くされてしまいました。有名な金龍坑は、昔子どもが二人も落ちて亡くなり、取材カメラマンも落ちて亡くなりました。
現在は塞がれていますが、北口はいまも開いています。また、信夫山西端の山根坑は、終戦間際、軍の秘密地下工場にもなりました。