360度の展望が自慢です
孤立丘なので、周囲すべてを見渡せるのが信夫山の自慢。雄大な吾妻連峰と、福島市の大西部を一望する絶景の烏が崎を筆頭に、旧市内を眺める第一展望台、福島東部と競馬場を眼下に見下ろす第二展望台、そして福島市北部を眺望する第三展望デッキなど、展望ポイントはなんと7か所もあるのです。
薬師の峯展望デッキから北部の眺望を見る北
第二展望台から競馬場と東部を見る東
烏ヶ崎から西部の大展望を見る西
烏ヶ崎から市街中心部を見る南
孤立丘なので、周囲すべてを見渡せるのが信夫山の自慢。雄大な吾妻連峰と、福島市の大西部を一望する絶景の烏が崎を筆頭に、旧市内を眺める第一展望台、福島東部と競馬場を眼下に見下ろす第二展望台、そして福島市北部を眺望する第三展望デッキなど、展望ポイントはなんと7か所もあるのです。
実は、信夫山は福島盆地が陥没したときに、盆地の真ん中に取り残された「残丘」または孤立丘とよばれる地形なのです。
山頂には貝や魚の化石があり、優秀な金山でもありました。豊かな自然環境があり、信仰や伝説にも溢れた、街の真ん中にある里山、信夫山は全国でもまれな存在なのです。
1000万年前ごろ、福島一帯は海底の時代でした。やがて奥羽山脈が隆起を始め、500万年前ごろに福島は陸化しました。あちこちで火山活動がさかんになり、信夫山の地下にもマグマが貫入しました。50万年前ごろ、福島盆地は逆に陥没し始めましたが、マグマの影響で固くなっていた信夫山は、そのまま取り残されて残丘となったのです。山頂にある化石は、海底時代の名残です。
マグマが貫入した信夫山には、熱水鉱床が残されました。その成分はなんと金だったのです。信夫山の金鉱は優秀で通常1tあたり7gの金が含まれていれば採算が取れるといわれましたが、信夫山は平均14gもありました。鎌倉時代の後期あたりから発掘がはじまり、信夫山には沢山のたぬき掘りの跡がのこっています。
本格的に採掘したのは大日鉱山ですが、信夫山は小さな山なので掘り尽くされてしまいました。有名な金龍坑は、昔子どもが二人も落ちて亡くなり、取材カメラマンも落ちて亡くなりました。
現在は塞がれていますが、北口はいまも開いています。また、信夫山西端の山根坑は、終戦間際、軍の秘密地下工場にもなりました。
東日本大震災後、支援を受けるだけでなく自らの力で、ふるさと福島のまちを再生し、さまざまな・視点から新たなまちづくりを推進するために設立しました。
地域の活性化のため、ソフト、ハード両面から、活力を生むための基盤整備とまちづくりの推進活動に取り組み、社会の発展に寄与することを目的とします。特に福島市民のシンボル信夫山の魅力を発信するための活動を行ってまいります。
所在地 | 〒960-8041 福島市大町7番25号 アクティ大町ビル5階 5-6 (一財)ふくしま未来研究会 内 |
---|---|
法人名 | 特定非営利活動法人ストリートふくしま |
理事長 | 山尾 良平 |
TEL | 024-573-0032 |
FAX | 024-572-7278 |
地域の活性化を目的として、ソフト、ハードの両面からの活動、特に福島市民のシンボル信夫山の魅力を発信するための活動を行ってまいります。
この活動に賛同いただける皆様からの寄付をお願いしております。
東邦銀行福島駅前支店 普通 509390
特定非営利活動法人ストリートふくしま
理事長 山尾 良平
※お振込みの際の振込手数料につきましてはご負担下さいますようお願いいたします。
福島市大町7番25号 アクティ大町ビル5階 5-6
(一財)ふくしま未来研究会 内
TEL 024-573-0032
FAX 024-572-7278
info@shinobuyama.com
※事務局までご連絡ください。
別紙、寄付金申込書にご記入の上、FAX・メール・郵送で事務局宛にお申し込み後、ご入金ください。
ご入金の確認後、受領証明書を発行させていただきます。
信夫山の旧参道の急斜面を上がりきると、パッと広がる4,900㎡の広場。
自然の地形をいじらず、人工物を一切置かず、多くの花木と草花の自然景観に配慮した花の広場です。
2月下旬から11月ごろまで、最低1樹種は花が咲いている花木エリア、ウッドチップを
敷いた散策路、西南に砂利敷きの多目的広場。
現状の緩やかな斜面の形状はそのまま利用。
南側部分の平坦なエリアは野芝を張った芝生広場。
南東側は樹木の間から市内の景観、阿武隈山系の眺望が楽しめる。
北側は草花散策ゾーンとし、多年草、宿根草を配植するエリアと雑草の中に花がある野性
的なエリアを設け、春から秋にかけて常に何らかの花が咲いているよう配植。
また、植栽する4種類のサクラの木陰で休息ができる。
※芝生ゾーンは6月まで養生中
正八幡宮は六供筆頭八幡院渡辺家の持宮である。
一間社流造、三方切目縁、鉄板葺の朱塗りの社殿。
細部は平三斗組、台輪、丸柱、二軒疎垂木。向拝は海老虹梁と階(きざはし)。
江戸期の建築であるが、昭和59年に改修を行った。
南八幡大菩薩で知られる戦いの神で、昔は出征兵士の武運長久、現在は試験・就職の祈願にご利益があると言われている。
六供集落内で持宮以外の神社関係で重要な建造物として、同集落正面参道入口にそびえる鳥居。
この場所は一の平に当たり、現在の鳥居は朱塗りの明神鳥居となっているが、当初は稚児柱の建つ権現鳥居(両部鳥居)であったという。
天神宮は当初は木造一間社流造であったが、昭和13年に灯籠はもちろん、社殿や鳥居まですべて石造りで造り替えた。
石造りの社殿は一間社流造を模した祠である。
天神さまは学問の神であり、雷神・農耕神でもある。
六供(ろっく)祇園院小野家の持宮。
一間社流造、三方切目縁、鉄板葺の社殿で江戸期の建築。
脇には一間社流造の小規模な金毘羅宮と切妻屋根の小屋に菅谷不動を祀る。
京都の八坂神社(祇園社)とつながりがあるといい、病気を祓うご利益。
六供(ろっく)三宝院加藤家の持宮。
一間社流造、三方切目縁、鉄板葺の社殿で江戸期の建築であるが、昭和初期に福島市荒井から購入移築。ニワタリ権現ともいわれた。
荒神とは火の神で激しい験力(げんりき)を持ち、火伏・厄除けのご利益。
六供(ろっく)山王院菅野家の持宮。
一間社流造、三方切目縁、鉄板葺の社殿で安政3年(1856)の建築。
五穀豊穣、家内繁栄、縁結びのご利益。
六供(ろっく)一ノ宮院西坂家の持宮。
一間社流造、三方切目縁、鉄板葺の社殿で江戸期の建築。
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全のご利益。